つきのひびき

風のように光のように自由にきらきらと輝いた人生を一緒に歩きましょう!
Posted by 森野 羽菜(もりの はな)

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慧春尼

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久しぶりに大雄山最乗寺に足を運びました。

一番始めにどうも気になるた慧春尼のところにお詣りをしてきました。

precincts12.jpg(最乗寺さんから拝借)

下記に慧春尼のお話を載せておきましたが、女人救済では有名な方で大変芯を強く持って行の世界に入った方。

でも今日は、なぜか涙を感じます。

お線香を灯したあとは本堂へと足をすすめましたが。。。

いかんとも周囲が騒がしく、私自身は慧春尼がごとく火の中にあっても心静かに生きていくことができるか、コノハナサクヤ姫がごとく、凛として産屋に火を放てるかと考えながら歩いていましたが 自分とは違う存在が騒がしい。。。


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しばらく境内を散策して本堂に戻りました。

ざわざわ感がだいぶ落ち着きました。

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本堂の写真を撮ると・・・。

本堂の周りにまるで、慧春尼のエネルギーがいるように感じました。

これがざわざわしている大元だったのでしょうか。

フレアという光りの反射かもしれません。

ただ、私の中で感じたことは 一瞬この光が炎のごとく本堂の周りにあらわれ、それは火定(火に入って入滅する)された慧春尼だと思ったこと。

そして、慧春尼の石像の光背は不動明王のような炎の光背。

兄である了庵禅師は足柄の山を明神を衆生を護るべくして今も山に満ち溢れている。

そうご住職はお話しくださいますが、慧春尼もまた山々に今もなお満ち溢れいる。

そう感じました。

異空間のような場。

人もまた人のために入滅してもなお満ち溢れることができるのだと、再度 回向へと本堂へお参りしにいきました。








慧春尼は三十歳を過ぎた頃、兄の了庵禅師に出家を願ったが許されなかった。
黙って退いた慧春尼は顔を火鉢で縦横に焼き、兄の元に戻って「古人法を求むるに身命を惜しまず。我れ今形骸を枯木にす。請ふ出家を許せ」と再び願った。
兄の了庵はやむなく許したという。


慧春尼は美貌であったとされ、多くの男に付き纏われたが少しも構うことはなかったという。
顔を焼いて出家した慧春尼であったが、それでも若僧から恋焦がれ、寝床に這いこんで来たその僧に泣きながら口説かれたので、慧春尼は「これ易事のみ。我と汝は僧であるから、交わるならば尋常のところはよしましょう。私に考えがありますから、その期に及んでは拒んではいけません」となだめて帰した。
その数日後、了庵上堂の大会の日、慧春尼はわざと性の大事について人々へ法問を向けた。
誰もが、偉そうに構えながら性のことに触れると口しぶる。
そこで慧春尼は、先夜の若僧の名をさして「論議では埒があきません。先の夜、御僧がお望みであったお約束事を、ここで果たそうではありませんか。さあお進み下さい」と、禅床の真ん中へ出て衣を解きかけた。
若僧はその場から逃げ出したのみならず、山からも姿を消してしまったという。


ある時、了庵禅師は円覚寺に用事があって山内の者に使いを頼もうとしたが、円覚寺に行くとやり込められるので皆恐れをなして行こうとする者がいない。
そこで、慧春尼は自分が行くと名乗り出て一人円覚寺に向った。
禅門の慣例で一山の大衆が山門に迎列して法問答を行なうことになっており、平素、慧春尼の機鋒を知っていた円覚寺の僧たちは不意に出てその鋒を挫かんと待ち構えていた。
やがて慧春尼が石段を登ってくるのを見かけると、ひとりの禅僧が前へとすすみ、いきなり法衣の裳を高く捲し上げ、「老僧が物、三尺」と大喝した。
これに対して慧春尼は平然として、彼にならって自分の裳を高く翻し「尼が物、底無し」と喝破した。
相手の僧は茫然とし、他に問う者もいなかったという。


慧春尼が火定した時、兄の了庵禅師が驚いて駆けつけ「尼よ熱きか」と叫んだ。
これに対して慧春尼は烈火の中から「冷熱は生道人の知る所にあらず」と答え、恬然として火焔裏に化したという。


今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。
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ゆるり

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( Photo by (c)Tomo.Yun :URL(http://www.yunphoto.net )

心って自分が作っている。

さまざまな感情が自分の心を流れていく。

悲しくなったり

嬉しくなったり

愛しくなったり

切なくなったり

怒りでいっぱいになったり

自分を責めたり

自分を慰めたり。。。

そんな心は自分のどこで作っているのかしら。。。

それは過去の経験を引きずっているから。。。

過去を手放さず 過去を握りしめているから。。。

今・・・生きている。。。

その感動に気づかずに 過去の感情に引きずられ 経験的に感情を放出する・・・。

そして、自分が作った物差しだけでしか世の中を見ていないことに気づかない。。。

足元で必死に生きているありんこに気づかない。。。

自分の意識から色眼鏡(自分で作ってしまった意識の枠)をはずしたら、自分の周りが随分と優しく接していることに気づくかもしれない。。。

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今日は 神奈川県の秦野にある出雲大社と中井町にある厳島神社へ。

9月1日の講座の講師の先生と一緒に参拝してきました。

講師の先生といくと どうにもこうにも花の香りに包まれます。

つまりいい香りに包まれます。

出雲大社も花が咲いていないのに花の香り。

厳島神社は エネルギーに満ち溢れ、全身が波動で包まれます。

ディヴァインマインドカウンセラー講座の時もそうでしたが、龍の通り道を講師の先生に教えてもらいながらの参拝となりました。

いくつか私にとって大事なことを教えていただきました。

出雲大社では 1年ぶりに出雲の神様とお会いしました。

1年ぶりの夏越しの夜以来ですが、やはりこの時も講師の先生と一緒。

どうやら、出雲の神様は講師の先生がお好きなようです。

面白いものです。

振り返れば もうそこにお姿はありません。。。

もしかしたら、私たちはいつも 前回の記事の写真のハートの青空のように神様方に愛され、大丈夫って守られていてお姿も現していらっしゃるのかもしれません。

ところが、こちらはそんなはずはない・・・って、参拝こそ日々していても潜在意識で否定しているのかもしれません。

やれやれ、色眼鏡を外して本当のことに気づいて生きていきたいものです。


今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。

 
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愛してる

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昨日から昨日にかけての雨。


気をもむような場面もあったけど、今朝の雨上がりの空。

まるで

「愛してる。大丈夫。」

そんな風に ぽっかりとハート型に青空をかたどっていた。

まさしく 空から 一休さんの

「大丈夫。心配するな。なんとかなる。」

そんなメッセージをもらったような感覚。

空からの愛をみなさまにも おすそ分け♡

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
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レイキ

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久しぶりにレイキのことを。。。

レイキは ヒーリングツールです。

レイキは 臼井先生が 天地からいただいたシンボル(型靈・かただま)とマントラ(言霊・ことだま)からなりたっています。

京都の深山・鞍馬山にご縁があり、金星からやってきた神様や観音様、月や太陽などの神様方のお力をヒーラーがアンテナとなり、お相手に神様方のエネルギーを流していきます。

ヒーラーは 単なる中継者です。

しかしながら、中継者であるためヒーラー自身のノイズ(エゴ)を極力なくしていく努力が必要です。

ですから、禊(みそぎ)は重要なところに位置します。

禊とは、なるべく自分の心にさまざまないらないものを洗い流していく・・・という行程です。

自分の言動、行動すべてがさまざまなところで影響しています。

それに気が付いて生きていくこともヒーラーとしての大事なことでしょう。

ヒーラーもまた、人としてしっかり責任をとって生きていくことが大切なのでしょう。

9月1日(日)「本当の自分を生きる」講座が 神奈川県の相模大野駅下車 徒歩7分 大野南公民館で行われます。この講座に参加するたびに 私の魂は 禊がおきます。

自分の言動、行動すべてがさまざまなところで影響しています・・・というところも、講師の先生の言葉が影響しています。

よく、過去世のカルマ(業)を解消するために生まれてきた・・・ということを精神世界の中で聞くことがあると思いますが、講師の先生から、

「みなさん、過去世なんかより、まず今を生きなさいよ。

今この瞬間、自分の言葉や行動に責任とってないよね。

誰かのせいや環境のせいにしてるでしょ?

それ、あらたなカルマ作っているだけだよ!!」

効きました(^_^;)

今を生きる・・・中に それだけでなく自分の行動や言動に責任を持つ。。。

これかなりレベル高いです。

極上の禊・・・でした(私にとっては(^_^;))

そんなこんなの日々、宮城の方から赤面症だけれど、みなの前で話をしなければならないので時間を指定してヒーリングしてもらえないか・・・と遠隔ヒーリングのご依頼をいただきました。

ヒーリングをしていくと、写真のような情景が見え、一そうの小舟が海に漕ぎ出していきます。

荒波を小さな舟が荒波に向かっていく様が見えます。

すると、お月様が光りをその舟にたくさん降り注ぐのが見えました。

舟は穏やかな大海へと櫓を進めていくのが見え、ヒーリングは終了しました。

ヒーリングの1時間後には お電話が入り、

「なんでだろうと思うほど、すらすらと朝礼で話ができました。感謝です。」

と、ご報告をいただき私も胸をなでおろしました。

私自身、日々みなさまのおかげで勉強させていただいています。

レイキをうまく使っていくためには 自らの心がいよいよ浄まっていくしかありません。

私自身は まだまだたくさんのエゴ満載です。

きっと今世だけでは取りきれないでしょう。

その中で せめて自分の言動・行動は 極力エゴを発しないように カルマを積み重ねないように生きていこうと思います。

さてさて、少しお話を脱線します。

昨日は某国大の教授にお会いしました。

人間工学の教授です。

自閉症スペクトラルを研究実践している教授です。

その方のオーラが凄かった(*_*)

赤いんです。

赤だから怨念か~って思ったんですが、それ不動明王の火のオーラでした。。。

彼は自閉症の方々が社会の中で暮らしやすくなるために地方自治体や国に働きがけをして、信号の前に足の形を歩道に作ってもらい、耳よりも目の方が優先になりやすい自閉症の方々が一人でも安全に買い物や通勤。通学に行きやすいように日々、思い考え行動していらっしゃる方でした。

不動明王のオーラの訳がわかった瞬間でもあります。

不動明王は 大日如来の憤怒の化身でもあるといわれています。

赤子が火の中で泣いていたら、憤怒の顔で真っ先にいつでも助けにいくぞという決死の形相をしていらっしゃるわけです。

教授はまるで布袋さんのようなお姿で(失礼!!)、話し方もゆったりしています。

でも、その魂は不動明王のような魂でした。

その思い、考えは おそらく通常なら財政難の現在、足型の歩道を作ることはかなり難しいことだけれど、境界線を越えて現実化していきました。

きっと無理・・・とあきらめることなく、信念を貫いたとき、山をも動かす・・・ということでしょうか。



今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

9月1日の「本当の自分を生きる1」講座にご興味のある方はご一報ください。

小田急線相模大野駅下車 徒歩7分 大野南公民館で午後1時~4時頃までを予定しています。

moonhibiki-123123@ezweb.ne.jpもしくはこのブログのメールフォームから、もしくはコメント欄に管理者のみ閲覧にチェックを入れてお申し込みください。

まだ若干のお席の余裕があります。



大野南公民館
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一休さん

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一休禅師


「大丈夫 心配するな なんとかなる」


小田原の町を車で走っていました。

小さなお寺の門に 力強い墨字が。。。

肩からすっと力が抜けて笑顔で午後から過ごすことができました。

高僧の言葉に 力づけられた1日となりました。

今日も 佳い日になりますことを!!


今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。
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ぷっくりとした今にも咲きそうな蓮の華

友人が上野に行った際に撮った写真です。

あまりも可愛くて、絵の材料にしたい旨を伝えていただいた写真です。 

ぴっくりした蓮の華の周りには 包み込むような蓮の葉が。。。

中国では 葉は母の懐のような仏の懐を現しているそうです。

蓮の葉に乗っかりたいような思いはそのような意味があるのかもしれません。


蓮は泥水の中から生じ、清浄な美しい花を咲かせる姿が、仏の智慧や慈悲の象徴とされています。

蓮の蕾の中には、既に実が結実しているので、一切衆生(いっさいしゅじょう・私たち)が生まれ付き仏性(実)を具えているのに喩えらます。

蓮がハチスと呼ばれるのもこの実の形からきています。

蓮は泥の中から育ちます。

真水では花を咲かせることができません。

そして、その美しい花や葉には一切の泥をつけずに水面へあがってきます。

水面からまっすぐ太陽を見て立ち上がる美しい姿は みな心を引き寄せられる。

私の住んでいる町に東の池、西の池というところがあります。

東の池はここ数年、ざりがにの被害で極端に蓮の花がへりましたが、今年は池一面に蓮の花が咲きました。

町の人もこの花を根絶やしにしてはいけないという思いの現れでしょう。

私たちはさまざまな苦難や困難、また不安や恐怖、嫉妬などなど、自分の心と葛藤しながら生活しています。

時には人を羨(うらや)んだり、人を蔑(さげす)んだり、怒ったり笑ったりします。

そんな自分に嫌気がさしたり、自分のセーフティーエリア(自分がそこから出ないことで安全を得られると確信している安全領域)を護ったり、自分への評価判断を気にしたりします。

それが実は大切です。

ドロドロした心の葛藤の中で 自己は飛翔の時を待ちます。

一切衆生がみな実を持っています。

たくさんの経験をしながら、やがて水面の上に美しい姿を現し実を育てます。

たとえ、東の池のように蓮の花が減っても泥の中に静かにその時を待っている蓮の命があります。

いただいた一枚の写真から 心が豊かになりました。

感謝を添えて。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。
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暑い日




8月は、どうしても戦争・・・というところに引き寄せられる。

これは忘れてはいけない大切なことだと思う。

すでに戦争体験者がかなりの齢を重ねてきていて、実際にお話を聞くのも私たちが最後の世代へとなるだろう。

「永遠の0(ゼロ)」という本を読んだ。

今年の12月に映画として上映される予定である。

戦争という時代に翻弄された若者たち。。。

その中に特攻に関する話がある。

回天・・・という言葉を聞いたことがあるだろうか。。。

まるで弾薬のようなもの・・・その中に人が入り相手に突っ込む。

終戦記念の日、主人の父親の話を聞いた。

彼の父は海軍で回天に乗る予定だった。

しかしながら、呉で終戦を迎え、平成5年まで生存することができた。

だから、主人やその兄弟、そして彼の孫が存在する。

私の母親は平成14年まで生きていたが、岩手から学徒動員で横浜まできて、弾丸のゲージを作っていたという。

下手くそで何度も戻ってきたという。

私はその話を子供だったので、「弾がうまく作れなくてよかったね。犠牲者がでなくてよかった。」と軽口をたたいたことを今も覚えている。

母親は玄米やあわやひえが大嫌いだった。

美味しいお米がいいといつも文句を言っていた。

私は彼らの苦しい戦争体験をまったく知らずに育っているから平和ぼけしている。

だから、身体にいいのは発芽玄米だったり、玄米だったりと自分の子供たちへの食材探しに必死だった。

母親はいやというほど、ひえやあわを食べてきたのだろう。

岩手は戦局からは離れていて、食べるものには苦労していなかったという。

しかしながら、田舎の箪笥の中の母親(私の祖母)の着物は消えて、箪笥の中には米が入っていたと話してくれたのを思いだした。

それもいつしか消え、ひえやあわ、じゃがいもになったという。

戦争ということを体験してきた私たち日本人、そして原爆も然り。。。

これを二度と繰り返してはならない。

「永遠のゼロ」という本には 人としての大切なことが書いてあるように私は思う。

作者もまた、戦争体験をしていない方。。。

しかしながら語り部として重要な位置にあるのだろう。

人はどのような心を持って生きなくてはならないのか。。。

改めて、自分が対外的にどのような位置に属し、また名誉であることなどまったく意味を持たず、持って帰れる最大の宝は心であるしかないと思った。

また、コントロールされることなく、体制に流されることなく生き抜ける力・・・。

でも・・・。

時代は許さなかった。。。

反発しようものなら、すぐさま特高がきてしょっぴかれる。

生存することにより、後世に伝えることができよう。。。

生きることさえ、腰抜け・・・といわれた時代だと聞くが。。。

今の時代は かなり自由に発言できる時代である。

この時代に発するしかない。

信州に信濃デッサン館がある。

そこにも若き画家の卵たちが書き残した絵画がある。

信濃デッサン館は十字架の形をしている。

彼らもまた、絵を描きたくて描けずに逝った魂たちでもある。


8月17日の朝日新聞で、「はだしのゲン」の閲覧にストップをかけた教育委員会があるのを知った。

残酷だからだという声が寄せられたためという。

もしかしたら、真実をしらないことの方が残酷なのでは・・・と思った。

教育委員会の方々もまた、戦争を知らない子供たちである。


日本人は日本人を美化するところがあるように思う。

臭いものにはふたをしろ・・・ということだろうか。

臭いものは根本的に洗い流さなければ綺麗になったことにはならにのではないだろうか。。。



私はとってもいい年をとっているが、戦争の真実や政府の真実を知らない。

またそういうことを、学校では教えてくれない。

何故、韓国や中国とうまくいかないのか。。。

日本がしてきたことを教科書では教えてくれない。。。

教員になった年、社会科の同僚がアサヒグラフを持ってきてくれた。

衝撃を受けた。。。

「まるた」というものだ。

ここには多くを書かないが、人を人としてみなさない日本人の心もあることに気づく必要があるだろう。

ドイツでは小学生のころからナチスについてディスカッション形式で過ちについて勉強している。

学ばなくてはならないところである。


先日、NHKの番組でアッツ島という特集があった。

このことも、知らなかった。

下記に載せるので時間が許せば読んでくだされば・・と思います。


今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

アッツ島

生きて虜囚の辱めを受けず

アッツ島は、アンカレッジから2400km、沿岸警備隊が管轄する立ち入り禁止の島である。

今回取材班は、アメリカ政府と交渉の末、ロシアとの国境に近いこの島に特別に入ることが許された。

島の広さは日本の佐渡島ほど。

一年中悪天候が続き、風速80mの暴風が吹き荒れることもある。島の北東部にあるチチャゴフ湾、日本軍アッツ島守備隊の本部が最期に置かれた場所である。

当時この付近は、日本兵の死傷者で溢れていたという。

開戦当初、勢いに乗り占領地を拡大していた日本。

昭和17年6月、アメリカ領のアッツ島、キスカ島を占領した。

守備隊の主な任務は、アメリカ軍の侵攻を防ぐため、飛行場を建設することだった。

しかし、アメリカ軍の軍艦や爆撃機によって補給は阻まれた。

守備隊2638人は孤立していく。日本軍の占領から1年経った昭和18年5月12日、アメリカ軍がアッツ等に上陸。守備隊の4倍、1万人あまりの大兵力が押し寄せてきた。

昭和18年5月29日深夜、生き残っていた100人あまりの日本兵が、谷に沿って突撃したとされている。

地面には、アメリカ軍の激しい銃撃を物語る薬きょうが、今も残っていた。

谷の行き止まりにあるエンジニアヒル、日本の守備隊長がここで命を落とし、戦争が終了したといわれている。

アメリカ兵が立てたという墓標が、激戦の痕跡をわずかに残していた。

守備隊の最期を目撃した元アメリカ兵が、今日の取材で見つかった。

アラン・セロルさん(94歳)である。

日本兵は殆ど武器も持たず、叫びながら向かってきたという。

「あれは、バンザイと叫びながら自殺のための突撃でした。日本兵は爆発物を巻きつけて、死のうとしていました。私たちを殺しに来ると同時に、死にに来たんです」と。

戦後まもなく政府がまとめたアッツ戦没者名簿の最期のページに、生還者に関する記録があった。

実は27人が瀕死の重症を負うなどしてアメリカ軍の捕虜になり、戦後日本に帰国していたのである。

兵士たちはどのような思いで戦い、最後の突撃を行ったのか。わずかな情報をたどり、漸く元兵士に会うことができた。

加藤重男さん(89歳):

加藤さんは、アッツ島の海岸で任務についていたとき、アメリカ軍の上陸に遭遇、胸と指を撃たれて重傷を負い捕虜となった。

「アメリカ軍が上陸したって抵抗も何もできないよ。弾薬もない、食べるものもない、何もない。玉砕するしかなかったよ」。

佐々木一郎さん(89歳):

アメリカ軍上陸から数日間守備隊は激しく抵抗したが、空襲や艦砲射撃で仲間は次々と戦死していった。

「旗色が悪いのは、始めから目に見えてるんだもの。本当に希望も何もない戦争だったからね」。

高橋富松さん(89歳):

自決するか、突撃して戦死するかを選べと上官に告げられた。

「軍隊の規則だから、戦陣訓にあるように死ぬしかないですよ。突撃と言ったって、敵の鉄砲玉の方が速いもの。それはどうかしてるのさ」。

アッツ島で戦死した兵士が持っていた軍隊手帳には、”生きて虜囚の辱めを受けず”と。降伏した捕虜になることは、兵士の心得を記した戦陣訓によって堅く禁じられていた。

武器もなく降伏も許されず、死ぬしかなかった兵士たち。

玉砕とは、死ぬことが目的となった戦い方だった。

玉砕は何故起きたのか。




アッツ島守備隊長と、見捨てた大本営とのやり取り


戦時中、798万人の軍人、軍属を動かしていた大本営。

政府からも独立した天皇直属の最高統帥機関として、絶大な権力を握っていた。

長野修身海軍大将、杉山元陸軍大将を中心に、エリート参謀がすべての作戦計画を立案していた。

アッツ島守備隊の全滅を玉砕と発表したのが大本営である。

「アッツ島守備隊のわが部隊は、ついにことごとく玉砕しました。

山崎部隊長は、ただの一度も兵の増援を要求したことがないし、また一発の弾薬の補給をも願ってまいりません」と。

しかし実際には、緊迫したやり取りが行われていた。

アッツ島守備隊長山崎大佐は、アメリカ軍上陸直後から厳しい戦況を伝えていた。

「敵は、全面に渡り上陸をねらっているものと思われる。その兵力は一個師団をくだらないであろう。

敵飛行機、間断なく執拗にわが上空に飛来、かつ銃撃を加えていく。

大本営は直ちに電報を送った。その時の記録が防衛省に残っている。

「大本営は、アッツ島を確保し敵の狙いを打ち砕くため、あらゆる方途を講じているところである。

緊急必要とする兵力、軍需品を至急報告ありたし。」と。

大本営は、アメリカ軍を撃退するための必要な兵力を送ると伝えていた。

電報を受け山崎大佐は、すぐさま増員兵力と物資を要請していた。

歩兵一個大隊半およそ1500人、機関銃、手榴弾、高射砲の弾薬といった武器。

さらに底を付きかけていた食料も求めていた。

しかし大本営は、隣のキスカ島からの撤収はするものの、アッツ島守備隊を見捨てる事を決定、援軍も補給も送らなかった。

守備隊からは何の要求もなかったと、大本営は偽りの発表をしていたのである。

さらに大本営は、アッツ島守備隊が名誉を重んじ、自ら玉砕を決断したと強調していた。

「山崎部隊長は、状況の推移を達観し、最期の決心をいたしました。

それは敵に大鉄槌を下し、皇軍の真髄を発揮せんというのであります。」と。

しかし守備隊には、事実上の玉砕命令が出ていたことがわかった。

防衛省に保管されていたアリューシャン作戦記録。

この中に守備隊に届いた電文の内容が記されていた。

「最後にいたらば潔く玉砕し、皇国軍人精神の成果を発揮することを望む」と。

玉砕命令を受けたアッツ守備隊長は、怪我を負い歩けない兵には自決が命じた。

昭和18年5月29日、守備隊は最期の突撃を敢行し全滅したのである。

大本営は、これに対し全滅の責任を逃れるため、守備隊自ら玉砕したと発表したのだった。

「ことごとく玉砕した。アッツ島は皇軍の真髄発揮の聖地として、永遠に悠久に歴史の上に記されることになったのであります」と。

大本営が玉砕という言葉で部隊の全滅を公表したのは、アッツ島が最初だった。

しかし大規模な命の切捨ては、それ以前から行われていた事が今回明らかになった。
 
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箱根元宮から箱根九頭竜神社へ

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箱根元宮まで参拝に行ってきました。

箱根は小学生のころからの遠足場所。

駒ヶ岳のロープウェイも遠足のコースの中に入っていますが、箱根が晴れていても雨風が強いことが多く、ロープウエイが動いているときに恵まれることも少ない場所です。

海抜1300m、箱根は富士山とともに伊豆半島が日本にくっついたときにできた山。

なんとも雄大です。

元宮もまるで天空の場です。

修験者の山としても知られています。

役の行者も江の島から雲に乗って箱根の山まで飛んだと絵巻に書かれています。


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白馬に乗って神様が降り立ったといわれている馬降石から元宮を拝します。


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ここは遺跡。

もともとの祭事場です。

ここから、天津神籬(あまつひもろぎ)の神山を拝します。

雄大で心が広がる場です。


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神山です。

雲が現れ始めました。


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元宮はあっという間に霧が現れ、天空の宮になりました。

元宮の楽しい宮司さんとお別れし、箱根神社にいきます。



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ロープウェイを降りると、暑い~!!

山の上と下ではやはり温度が格段に違います。

汗を拭きながら、箱根神社~九頭龍神社へ。

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九頭龍神社のお水取りの場所が新しくなりました。

龍の頭が9つあります。

ゆっくりお水がいただけます。

お水をいただくためのペットボトルは箱根神社で100円で譲ってくださいます。

私はお水をいただく感謝をこめてこのボトルを毎回購入しています。

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ありがたいことにこの日、結婚の儀が執り行われていました。

ご主人様の笑顔に、こちらも思わず福をわけていただきました。

暑い夏ですが、箱根の山の神威をいただき心も身体もリフレッシュさせていただくことができました。

今日も佳き日をお過ごしください。

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

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平和宣言

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8月9日、黙想のあと私はラジオから長崎市長の平和宣言を聞きました。

涙がとめどもなく溢れました。


日本人として とても大切なことを忘れてはいけない。

日本人だからこそ、世界へと発信する役目があるのでしょう。

目には目を・・・ではありません。

痛みを他へと渡さない。

その力が私たちにはあるんだと改めて広島、長崎の皆様の計り知れない愛の深さに感涙しました。

私の知り合いに20代の若い女性がいらっしゃいます。

彼女は被ばく3世です。

幸い発症はしておらず元気に笑顔で暮らしていらっしゃいますが、手帳をさっとみせてくださった時のこころはいくばくか。。。

ネットや情報網では真実の多くは語られていないのが現実です。

下記に長崎市長の平和宣言をのせさせていただきました。

未来のみなさんへずっと平和が届けられるように希求します。
 


68年前の今日、このまちの上空にアメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。

熱線、爆風、放射線の威力は凄(すさ)まじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。

人々が暮らしていたまちは一瞬で廃虚となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、そのうち7万4千人の方々が命を奪われました。

生き残った被爆者は、68年たった今もなお、放射線による白血病やがん発病への不安、そして深い心の傷を抱え続けています。

このむごい兵器をつくったのは人間です。

広島と長崎で、二度までも使ったのも人間です。

核実験を繰り返し地球を汚染し続けているのも人間です。

人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。

だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、折にふれ確かめなければなりません。

日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。

今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80カ国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。

しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。

人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。

これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。

インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。

NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。

NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。

日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。

非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。

核兵器保有国には、NPTの中で核軍縮への誠実な努力義務が課されています。

これは世界に対する約束です。

2009年4月、アメリカのオバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」を目指す決意を示しました。

今年6月にはベルリンで、「核兵器が存在する限り、私たちは真に安全ではない」と述べ、さらなる核軍縮に取り組むことを明らかにしました。

被爆地はオバマ大統領の姿勢を支持します。

しかし、世界には今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、その90%以上がアメリカとロシアのものです。

オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に核弾頭の削減に取り組んでください。

「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題として、核兵器の廃絶に取り組み、世界との約束を果たすべきです。

核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけにまかせるのではなく、市民社会を構成する私たち一人ひとりにもできることがあります。

政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起(おこ)ることのないやうにする」という日本国憲法前文には、平和を希求するという日本国民の固い決意がこめられています。

かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さない、という平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。

若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。

「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウオー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。

あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。

68年前、原子雲の下で何があったのか。なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。被爆者の声に耳を傾けてみてください。

そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか。

考えてみてください。互いに話し合ってみてください。

あなたたちこそが未来なのです。

地域の市民としてできることもあります。

わが国では自治体の90%近くが非核宣言をしています。

非核宣言は、核兵器の犠牲者になることを拒み、平和を求める市民の決意を示すものです。

宣言をした自治体でつくる日本非核宣言自治体協議会は今月、設立30周年を迎えました。

皆さんが宣言を行動に移そうとするときは、協議会も、被爆地も、仲間として力をお貸しします。

長崎では、今年11月、「第5回核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」を開催します。

市民の力で、核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信します。

東京電力福島第一原子力発電所の事故は、未(いま)だ収束せず、放射能の被害は拡大しています。

多くの方々が平穏な日々を突然奪われたうえ、将来の見通しが立たない暮らしを強いられています。

長崎は、福島の一日も早い復興を願い、応援していきます。

先月、核兵器廃絶を訴え、被爆者援護の充実に力を尽くしてきた山口仙二さんが亡くなられました。

被爆者はいよいよ少なくなり、平均年齢は78歳を超えました。

高齢化する被爆者の援護の充実をあらためて求めます。

原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市と協力して核兵器のない世界の実現に努力し続けることをここに宣言します。

2013年(平成25年)8月9日長崎市長 田上富久
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先祖供養2

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御盆に向けてご供養させていただきました。

1枚の紙から霊魂安鎮符を折りだします。

1枚のまっさらな半紙は まるで宇宙。。。

宇宙の中に銀河系や太陽系があるように宇宙に溶け込むように紙(神)折符を折らせていただきます。

万靈供養符は まるで宇宙の中に鳥居が幾重にも折り重なっているように思います。

お一人お一人の御魂に合わせて折っていくと メッセージが降りてきます。

ご依頼をいただいた方にそのメッセージは届けさせていただきました。

ひとつだけお伝えすると、折っていたらキラキラと光の粒が舞い込みました。

その方の姪御さんが今回ご依頼いただいたわけですが、姪御さんが気にかけてくださったことに感謝している・・・とのこと。

姪御さんであるご依頼主様にお伝えすると 母と同じように慕っていた叔母であるとのこと。

このようなご縁にふれさせていただけると私も本当に打ち震えます。

本当にみなさまありがとうございました。

また、万靈供養の符は 有縁無縁のみなさま、万物、そしてペットへのご供養符です。

八家からのご依頼は数をみれば 無限を現します。

世界中が無限のお力で神縁を結び、平安であることを心からご祈念申し上げます。

このあとおたきあげをさせていただき祝詞とともに天へ上昇していただきました。

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早朝の神事でしたので、午前10時には関東の出雲さんへ。

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関東の出雲さんにある祓社です。

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祓社には神事の時にあげさせていただく大祓祝詞に出てくる瀬織律姫様などなどがいらっしゃいます。

祓社の紙垂(しで)が風でたなびいていますが、大祓祝詞では科戸(しなど)の風の天の八重雲を吹き放つ・・・という部分があります。

感謝でしかありません。

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大阪の住吉大社です。

夏越しの時にお伺いさせていただきました。

底筒男命(そこつつのおのみこと) 中筒男命(なかつつのおのみこと) 表筒男命(うわつつおおのみこと)の住吉の三神と息長足姫命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)がご祭神です。

イザナギの禊祓いによって出現された神様方で重要な祓いの神様方です。



祈りはとても重要です。

しかしながら、日々の暮らしでとても重要なことがあります。

それは思いであり、思いによる行動です。

昨日は箱根に出かけてきましたが途中の小田原で日蓮上人の言葉と出会いました。

己の心を汚すのも己。

土地を汚すのも人。

浄土という言葉があるが、現在ある土地と浄土の土地も同じ土。

その土は別物のように考えているけれども同じ土。

土をきれいにするか土を汚すか すべて一人一人の心による。


日蓮上人のお言葉通りに伝えられなくて申し訳ありませんが このような内容だったと思います。

今の時代に通用する内容だと思いました。


今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。

酷暑が続きます。また東北におかれましては豪雨の地域もあります。

どうぞお気をつけてお過ごしください。

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整理

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蓮の花、今年はたくさん根付いたとのこと。

たくさんの蓮の花を一度に見ると 蓮の花のひとつひとつに気づかない自分がいる。

また、ひとつに気がとられると全体が見えない。

このバランスが必要。

昨日は ある方がある種目で県で金賞をとり、秋の全国大会(アビリンピック・パラリンピックと同様に障害のある方の技能面での競技大会。優勝すれば世界大会へとすすみます。)に出ることに決まり、そのための練習に初参加の日でした。

私はその方と約束をして 食べきれないほどのお好み焼きを作ることにしました。

その方を支援する仲間と一緒に10枚ほどのお好み焼きが完成(笑)

また、ある方は流しそうめんを用意して彼の登場を待っていました。

ところが肝心の本人が来ない。。。

連絡をとると 忘れていた。。。

そこに私たち支援グループは怒りはありませんでした。

彼への支援方法を 考えることになりました。

彼は知的に障害があります。

そこにADHD(注意欠陥障害)もあることに着目しました。

彼の能力は 私も太刀打ちできないほどのすばらしいものがあります。

しかしながら支援しなくてはならないことも数多くあります。

ひとつひとつのことを整理していく必要があります。

臨床発達心理士としての仕事は 彼の発達と行動を精査していき、彼が社会生活を営みやすいように支援していくことです。

彼は いわれたことに対してすべてこ答えようとしてくれます。

だから この夏 さまざまな練習や大会に参加を決めました。

ところがことごとく忘れる。

そして常に彼はアルバイトもしていて忙しい。

忙しいは心が亡びると書くと昨日出会った言葉です。

では心が栄えるようにしていく必要があります。

そのためには 彼にとって 何が一番彼にとって今大切かを彼と一緒に考えていくことにすることを支援グループの仲間と図ることにしました。

こちらがコントロールするのではなく、彼に考えてもらい 彼に選択してもらう。

そしてそれをわかりやすいメモにする。

それにより、おそらくは彼自身がかなり生活しやすくなると思います。

この整理は 私たちにも同じことがいえます。

すべての事象をいっぺんに処理しようとして失敗をすることは少なくありません。

全体を把握しながら 自分がどの蓮の花に集中するか・・・。

蓮の花はどれもみな美しいけれど すべてを選ぶわけにはいきません。

絵を描くときも写真を撮るときも必ずどれかにフォーカスするはず。

この夏、何にフォーカスするか・・・。

まずは自分の身の回りの整理から始めるかな(*^_^*)

今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。
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希望

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富士山に行ってから変化し始めた。

なにが変化したか・・・。

体重も変わらないし(笑)、頭がよくなったわけでもない。

しかしながら変化した。。。

なにが???

富士山という山に登らせていただいたおかげさんで 登る間、下山する間、絶え間なく必要なものは心と身体だけであった。

そして、他へ迷惑かけないように準備をしていくということ。

他はなにもない。

他はなにも必要がなくなった・・・と考えるのが一番いいかもしれない。

今日の私・・・現在の私は、頭で考えることがますます少なくなっている。

胸でハートで感じるようになってきた。

波動を直接、胸で感じるという感覚である。

テレビで出くわした「アッツ島玉砕」の番組。。。

人類の残した負の遺産であるDNAを少しでも減らしていく。。。

そうハートは答える。

薬師寺官長 高田好胤さんの名言に出会いました。



「結局のところ

悟るとは

決心することだよ。」


「やたらと忙しいのは

どんなものでしょう。


「忙」という字は

「心が亡びる」と書きます。」


「子供は親のする事を

真似て学ぶものです。


親が身をもって

親にお仕えする親孝行、

亡くなられたご先祖に対しては

まつりごとをする


そんな親の後ろ姿を子供はじっと見ていて、

いつとはなしに縦の人倫の道を学んで

身につけていくのです。」





「かたよらない、

こだわらない、

とらわれない心。


ひろく、ひろく、もっとひろく

…これが般若心経、空のこころなり」


今を生きるということは 一番のご先祖さまへのご供養。

忘れてはいけないのは 今を生きているということは ご先祖様をはじめとして多くの方やものに支援されて今ここにいるということ。

自分一人で生きているわけではない。

まずは 産みだしてくださった父母へ感謝すること。

育ててくださったたくさんの方々や 家や万物に感謝すること。
 
万物がなければ 今 私は生きていくことができなかっただろう。

それに気づかないで無視している意識を蘇えさせる。

この時、万物に感謝しか生まれない。

万物は こんなにも私を慈しんで育ててくださっていることにただただ涙する。。。

そして私もまた慈しみ育てる循環の中に位置する。

それはすべての方にその力が備わっている。

やがてそれは確信から希望へと転ずる。

地球は 宇宙は きっと未来も輝き続ける。

万物に慈しみをいただき、そして愛されている人類しかここに存在しないのだから。。。

胸にたくさんのストレスをかかえていても ナイフで切り裂かれそうに苦しくても 私たちは確実に慈しみ愛され育っていることにすべての方が気づいたとき、それは実現する。

すべての方が自分だけの幸せを追及することの愚かさに気づいたとき、すべての方が自分だけが正しいという考えを手放したとき、

それは赦しと愛と感謝で充満する。


今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。

 
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先祖供養

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8月も4日になりました。

もうすぐお盆ですね。

先祖供養符のご依頼が来ました。

暑い夏ですが 夏の時の流れを感じます。

今朝は久しぶりに16歳9か月で旅立ったシル君が遊びにきてくれました。

雨の滴を口で噛みます。

可愛い目も口元もそのままで 本当に今もそばにいるんだね・・・と感じました。

普段は 3匹のフレンチブルドッグと1匹のパグ君で大賑わいでシルも安心していることと思います。

また、4月に帰幽した義母や10年をすぎた父母の冥福も心をこめてご供養をしてまいります。

皆さまの中で先祖供養のご希望がありましたらどうぞご依頼ください。

先祖供養符を祝詞をあげながら天にあげていきたいと思います。

ご依頼ご希望の方は 大変申し訳ありませんが、8月10日までに俗名(現世でのお名前)、帰幽された日(天に昇られた日)をお知らせください。

心をこめてご供養させていただきます。

わからない場合は その旨をお伝えください。

また、万靈供養の符(すべての生きとし生けるもの)も、同様に8月10日までにお申し込みください。

和合符・繁栄符・弥栄符・良縁成就などの護符も随時、謹製させていただきます。

(上記の護符は御盆が過ぎてから作らせていただきます。)


313557_351487094931114_1567143865_n_2013080406024227f.jpg(昨年の供養祭の様子です。)



すべての護符は5000円で謹製させていただきます。

お申し込みは moonhibiki-123123@ezweb.ne.jpもしくは、このブログのメールフォーム、もしくはコメント欄に管理者のみにチェックをしてお申し込みください。

必ず、ご連絡先をお書き添えください。

(基本はパソコンからご連絡をいたします。拒否されていらっしゃる方はその旨をお知らせください。携帯からご連絡させていただきます。)

よろしくお願いします。



グリーン きせき

明日 今日より も好きになれる
溢れる想いがとまらない
今もこんなに好もきでいるのに 言葉にできない

君のくれた 日々が積み重なり
過ぎ去った日々 2人步いたキセキ
僕等の出会いがもし偶然ならば運命ならば
君に巡り逢えた それってキセキ

2人寄りそって步いて 永久の愛の形にして
いつまでも 君の橫で笑っていたくて
『ありがとう』や Ah 『愛してる』じゃ まだ
足りないけど せめて言わせて『幸せです』と

いつも君の右の手のひらを ただ僕の左の手のひらが
そっと包んでく それだけで ただ愛を感じていた

日々の中で 小さな幸せ
見つけ重ね ゆっく り步いたキセキ
僕らの出会いは 大きな世界で
小さな出来事 巡りあえたそれってキセキ

上手く行かない日だって 2人でいれば晴れだって
強がりや寂しさを 忘れられるから
僕は君で なら 僕でいれる から
だからいつも傍にいてよ 愛しい君へ

2人ふぎけあって 帰り道
それも大切な 僕らの日々
思いよ屆けと 伝えたときに
初めて見せた 表情の君
少し間があいて 君がうなすいて
僕らの心 満たせれてく愛で
僕らまだ 旅の途中で
またこれから先も 何十年 続いてけるような 未来へ



今日も最後まで読んでくださりありがとうざいます。
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富士山へ

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富士山へ無事登頂することができました。

頂上は 近くに見えるけど、なかなかたどり着けない・・・。

七合目を越えるころからは 深呼吸をして全身に酸素を行き渡らせるように配慮しながら一歩一歩進んでいく。

今回は 富士山登山ラッシュで 外国の方も多くいらっしゃってましたが、弾丸登頂して高山病になってしまう方もお見受けしました。

酸素も山登り専門店では販売していますが 酸素を使用すると高地になれてきた身体(少ない酸素に慣れてきた身体)が、一気に平地に戻り、余計高山病の状態を引き起こしてしまうそうです。

ゆっくりゆっくり自分の身体の状態を確かめながら登っていくことがよいそうです。

また、お近くの国は今、登山ブームだそうです。

ところが高い山がなく、かなり気軽な服装で登ってきている方もいらっしゃるそうです。

富士山は やはり3776mある山なので しっかりした服装をお勧めします。

本八号目

11時過ぎに登頂を開始して夜7時ころ、やっと八合目の鳥居をくぐり富士の聖域へ。

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夜8時、本八合目にあるともえ館の夕食。

あったかいお茶が嬉しい。

夜中の1時半に起床して2時に頂上を目指して出発です。

LEDランプをみな頭につけて登っていきます。

とても美しいけど、写真を撮る余裕はありません。

DSC_0464.jpg


頂上です。

ほんのちょっぴりご来光(*^_^*)

この後ろに大きな鳥居がありますが この後すぐに雨と風が強くなり写真が撮れません。。。

お鉢めぐりも予定していましたが、吹き飛ばされそうなので断念。。。

久須志神社で金剛杖ミニに焼き印を押してもらい、金名水をいただいて下山することにしました。

例祭日:8月15日

この神社は浅間大社奥宮の末社で、大名牟遅命、少彦名命をお祀りしています。

ご祭神の名前を見ると 「やっぱり・・・」と頷けました。

大名牟遅命は大国主命、少彦名命は恵比寿様・・・。

出雲大社の神様です。

久須志・・・はもともと薬師だったそうです。

登頂の前に関東の出雲さんにお参りしています。

出雲の神さまがここまで無事に登頂させてくださったと考えるのは単純かなあ・・・(笑)

富士山の御神徳を拝しながら登山する事を登拝というそうです。

富士登山は平安末頃から始まり、江戸時代大きく発展し、富士講という団体登山が行われるようになりました。

登拝は、金剛杖をつき「六根清浄」を唱えのぼり、頂上では両奥宮参拝後、お鉢(火口の事)廻りをするのが習わしです。(調べているとこのような記載を見つけました。次回はぜひお鉢めぐりができるようにしよう。)


金明水・銀明水

頂上のわずかな落差によって湧く御霊水です。

登拝者はこのお水を受けて浅間大神の御神徳を戴くそうです。

金明水は、久須志神社の西北方、白山岳に麓に、銀明水は、御殿場口登下山道の起点にそれぞれあります。

今回は久須志神社で金名水をただくことができました。

白山岳・・・といえば白山神社。。。

私の父方のご先祖は金沢・・・。

金沢と言えば白山神社・・・。

金名水をいただけたのは 父方のご先祖からの贈り物でしょうか。。。

なんとも不思議な富士山です。

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下山途中の富士の裾野。

達成感を味わいながら、また一歩一歩 富士の土を踏みしめて戻ります。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。

現在、筋肉痛で 階段を平地でも一歩一歩踏みしめています(笑)
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