つきのひびき

風のように光のように自由にきらきらと輝いた人生を一緒に歩きましょう!
Posted by 森野 羽菜(もりの はな)

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Posted by 森野 羽菜(もりの はな)   3 comments   0 trackback

足柄峠へ

なかなか更新することができずごめんなさい。

自分とはなにか。

それを考えながら日々過ごしていました。

私が古神道にたずさわった理由は 本当のことは なんだろう ただただ 昔から それだけ。

そして、自分がヒーリングをしていく中で 皆さまと一緒に歩んでいくのに 自分自身が 根本とずれていてはいけない。

そのためには 審神(さにわ)と いわれる方に巡りあう必要があると思ったからです。

エゴが さまざまな横道へと 誘惑し それにのっかると 楽ちん(本当は あとが大変)。

それでは 皆様に対しても そして実は 自分の魂に対しても きわめて失礼になります。

そして、今 あらたに 道筋が見えてきました。

静かに家にいることが多く、そして 地元の神社に参拝することが 日課となっています。

これが なぜ 必要だったか。

審神でいてくださった古神道の師が お話してくださったこと。

それは 「できるなら お話は さまざまなことが進んだかたと お話をしなさい。」

ということでした。

この言葉に 私のエゴが蠢きました。

「なんで??どういうこと??人を選ぶのは嫌だ!!おかしい!!」

師の本来の言葉を 理解しないがために生まれた言葉です。

師の言葉を理解するために 私は しばし 家と神社の往復をしていたようです。

理解にいたるのに 足柄峠まで足柄古道を てくてく登りました。

111014_1347~01 111014_1348~01

雨が降っていますが それが心地よい。

しばらくすると 赤い鳥居に出会いました。

111014_1357~02

足柄明神とあります。

「明神」とは、神は仮の姿ではなく明らかな姿をもって現れているという意味であるとウイキぺディアにありました。

この足柄明神は ヤマトタケルが明神嶽(岳)(←最乗寺のあるところ)から足柄山を越えようとしたときに路に迷ったとき そこに白鹿が姿をあらわれます。

この白鹿が 足柄明神です。

白鹿が消えたところに 神霊を齋祀したといわれています。

白鹿といえば 春日大社。

日本の国の繁栄と国民の幸せを願って、遠く鹿島神宮から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)様を神山御蓋山(ミカサヤマ)山頂浮雲峰(ウキグモノミネ)にお迎えしたとあります。

鹿島は要石でも知られているように地龍を鎮めている神社。

足柄明神に 思いもかけず出会ったのは 地龍を鎮める必要があるからなのでしょう。

111014_1400~01

足柄明神の前で祝詞をあげてしばし 遠隔作法をしていました。

111014_1400~02

あげ終わると 涙がこぼれてきました。

山に感謝 地に感謝 草木に感謝 人々に感謝 周囲で まるで鈴の音のように 祝詞に併せて奏でる鳥たちに感謝 動物たちに感謝 空気に感謝 雨に感謝 この地に齋祀し 今なお 守り続けてくださっている皆様に感謝 。

足柄明神の功徳かもしれませんね。

そして理解しました。

家にいると 自分の波動が うまく響かないことがあります。

これは 家人の思いなどに ひきずられている自分がそこにあるからです。

だから自然と 神社や自然の多い場所に出向くのでしょう。

では 家人の問題なのでしょうか。

違います。

すべては自分であることを すでに知ってはいたものの またさらにその奥にあるものに気づきました。

自分が本当にゆるぎなく まっすぐなら 家人の思いもクリアになり福寿となす。

もし自分が家人のエネルギーを受けるとしたなら 天地の法則。

地の法則。

上から下へとエネルギーは流れていく。

だったら その上流へと自分が昇り 家人へと祝福を流せばいい。

それが なかなかあかんから 師は「できるなら お話は さまざまなことが進んだかたと お話をしなさい。」

とおっしゃたのでしょう。

今 ゆっくりと 神社で神霊からのプレゼントを受け入れつつ 始動し始めています。  

ゆるぎない祝福を すべての人へ 自然界へ。

ゆるぎない栄さかを すべての人へ 自然界へ。

この時 扉がゆっくり開き始めました。

まだ 始まったばかりです。

第一帖

富士は晴れたり、日本晴れ。

神の国のまことの神の力をあらわす代となれる、

仏もキリストも何も彼もはっきり助けて、しち難しいご苦労のない代が来るから、身魂を不断に磨いて一筋の誠を通してくれよ。

いま一苦労あるが、この苦労h身魂をみがいておらぬと越せぬ、この世始まって二度とない苦労である。

このむすびは神の力でないと何もできん、人間の算盤でははじけんことぞ。

日本はお土が上がる、外国はお土が下がる。

都の大洗濯、鄙(ひな)の大洗濯、人のお洗濯。

今度はどうもこらえてくれというところまで。後へ引かぬから、そのつもりでかかってこい。

神の神の力を、はっきり見せてやるときが来た。

嬉しくて苦しむ者と、苦しくて喜ぶものと出てくる。

神は神の国、・・・・(略)

世界中の洗濯ざから、いらぬものがなくなるまでは、終わらぬ道理がわからぬか。

臣民同士のいくさでない、神と神、あかとあか、人と人、ニクとニク、タマとタマの戦ぞ。

己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、

それで戦が済むと思うているとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一
・・・・(略)



日月神示の上巻の一ページ目です。

やっと解読できるようになりつつあります。

でもまだ本当には理解していないかもしれません。

それでも前に読んだ時より 一ページ目からガツンとやられています。

己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、

それで戦が済むと思うているとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一


外を批判している場合ではありません。

自分の魂の浄化が 一番最初です。

自分の心が広がった時 より一層 他へ福徳を お渡しできます。

自分だけが幸せになっても うまくこの世は まわっていきません。

福徳が循環することで 自他ともに 幸せになっていきます。

誰かを蹴落とすことでは ありません。

自分の都合によって 他を排他することではありません。

すべてを祝福することで 宇宙がまた広がり永続していきます。

繰り返してお伝えします。

動物たちの魂はけなげです。

私たち人は 動物を都合によって 感動したり 排他したりします。

我が家にやってきた福ちゃん(フレンチブルドッグ)を保護しに行った時 そこはほとんど清掃工場でした。

言葉を選びながら書いています。

実際に保護センター(保健所)へ出かけていってみてください。

すべての子を引き取る財力を持ち合わせていないことが残念です。

命には寿命があります。

寿です。

その寿の命を取り去ってしまう心も私たちにはあるのです。

いっときの感情だけで テレビの感動シーンを見て 涙する。

それは 素晴らしい魂の現れでもあるのだけれど その感情を永続させていく力がない。

政府をシステムをお役所を動かす潮流となりきれない。

犬を一匹飼うだけで本当に大変なことではあるけれど 猫を一匹飼うだけで本当に大変なことではあるけれど この子たちが与えてくれる無償の愛は 普遍です。

昨年9月 息子のところに婿入りしていた当時17歳の猫のタケチヨ君が具合が悪くなり里帰りしてはや一年。

昨年の9月 病院に連れていくと 後ひと月もかしらと言われながら今年の5月にめでたく18歳に。

そして、今年の9月を過ぎ 昨年1,9キロしかなかった体重も3キロを超え 元気に過ごしています。

動物もまた 私たちの願いを受け入れ 生きる勇気を与えてくれる存在です。

心を洗濯し、そして祝福を贈り続ける。

これが未来へ紡ぐ一番大切なことなのだと 足柄明神から いただいた福徳です。

ヤマトタケルが路に迷っていたら 導いてくれたように 私たちが迷った時 必ずメッセージやシンボルなどによって導いてくれます。

長い文章を最後まで読んでくれてありがとう。

さあ今日も元気に笑顔で歩いていこう♪ 
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Comment

真央 says... ""
はじめまして、真央と申します。
このような世界を知るようになってまもない者です。
この赤い鳥居の写真を見て涙が出ました。
なんだか不思議か感覚が湧き上がってきた感じです。
今はせかされるように日々いろんなことが変化しています。
自分でもついていけないほど目まぐるしい変化です。

2011.11.06 06:24 | URL | #- [edit]
瑞姫 希音(みずき かなで) says... "ゴチさんへ"
ゴチさん、ありがとうございます。
ゴチさんは 修験道の方がのぼるようなお山を登山されるので 体で感じられるでしょうね。
私は孝雄や明神 仏果山 大山 金時山などくらしか登れませんが それでも^_^;ひーひー。。。
頂上につくと 幸せになります。
2011.10.20 04:03 | URL | #- [edit]
ゴチ says... "明神岳"
「明神」と聞いて思い出すのは「上高地」です。明神池と明神岳(2931m)です。上高地にかぶさるように突き出た岩山です。皆さんが「穂高岳」(3090m)と勘違いします。この様な山に登って眼前に広がる国々を見渡した時に神々の存在を信じたくなり、思わず手を合わせ「家内安全、無病息災」などと都合の良い事を嘴って山を下ります。富士山、剣岳なども信仰(修験道)の山であったように高い岩山にも神の存在を感じる事があります。
2011.10.17 14:52 | URL | #- [edit]

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